「九条の誓い」を立てる —— 戦争をしない国を、次の世代へ


このサイトは、ひとつの「誓い」から始まる。

日本国憲法第九条。たった二つの条文、およそ百三十字の言葉。そこには、戦争をしない、と書かれている。

なぜ、このサイトは「九条の誓い」と名乗るのか。そこには、三つの理由がある。

一つ目の理由。憲法第九条は、条文である以前に、国民自身の「誓い」として生まれたからである。

日本国憲法は、昭和二十一年(一九四六年)十一月三日に公布され、翌昭和二十二年五月三日に施行された。終戦から、まだ二年も経たない時代である。広島と長崎に原爆が投下され、無数の都市が空襲に焼かれ、沖縄では地上戦が行われ、多くの人びとが命を落とした。戦争とは何か。その答えを、身をもって知った人びとが、二度と繰り返してはならないと書き残した言葉。それが、第九条である。

「永久に」「放棄する」「保持しない」「認めない」。条文に並ぶのは、すべて断固とした否定の言葉である。そこには、戦争への深い反省と、平和への誠実な希求が、ぎりぎりの強さで込められている。これほどの犠牲の上に、ようやく手にした約束。それを、単なる法律の条文と呼ぶだけでは、少し惜しい。これは、国民が、自分自身に課した「誓い」なのである。

二つ目の理由。「誓い」という言葉には、守り続ける意志が含まれているからである。

願いや希望は、かなえられなければ、そこで終わる。しかし誓いは違う。誓いは、日々の暮らしのなかで、繰り返し立て直されるものである。憲法もまた、書かれた瞬間に完成するのではない。読み続けられ、問い直され、守られ続けて、はじめて生きているものになる。私たちは、その「誓い」を、次の世代に手渡すために、このサイトを立ち上げる。

三つ目の理由。いま、この誓いが、改めて問われているからである。

国際情勢は、戦後まもない時代とは大きく変わった。安全保障をめぐる議論も、かつてないほど激しさを増している。変わりゆく時代のなかで、九条はなお、守るに値するのか。そう問われたとき、私たちは答えなければならない。ただ「守る」と繰り返すのではなく、なぜ守るのかを、言葉にしなければならない。このサイトは、そのための対話の場である。

私たちの誓いは、三つの言葉で成り立っている。

一つ。戦争をしない国を、国家の基本として守り続けること。
二つ。憲法第九条を、正しく読み、語り、次の世代に伝えること。
三つ。意見の異なる人びととも、対話をやめないこと。

憲法第九条は、多数決で決まるものではない。それは、国民ひとりひとりが、自分自身に対して立てる誓いである。

戦争をしない国を、次の世代へ。

このサイトは、その誓いの記録であり、その誓いのための場である。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です